白井英治選手を紹介!無冠の帝王と呼ばれたボートレーサーの歴史

近年勝率8.00をマークし続け、賞金ランキング上位を維持する白井英治選手。
SG常連で、常にトップの成績、トップクラスの賞金、間違いなくボートレース(競艇)界を代表する選手だ。
2021年は賞金王決定戦の優勝戦にも出場し、年間賞金獲得3位の成績を収めた。
白井選手を語る上では切っても切れない師匠とのエピソードや無冠の帝王と言われたもどかしい時代、そしてレースに向き合う姿勢に注目していく。
今回は、魅力あふれる白井英治選手の「プロフィール・特徴・歴史」を紹介していく。
目次
白井選手のプロフィール
- 名前:白井 英治
- 出身地:山口県美祢市
- 生年月日:1976年10月15日
- 身長:173cm
- 体重:55kg
- 血液型:O型
- 支部:山口支部
- 登録番号:3897
- 登録期:80期
- 級別:A1級
白井選手は、山口支部に所属しているA1級の選手で、キャッチフレーズは「関門のホワイトシャーク」だ。
キャッチフレーズの由来は、JLCで番組司会をやっていた荻野滋夫氏に「良いニックネームが欲しい」と話したところ、考え出されたようだ。
関門は、白井選手の地元・山口県にある下関の関門海峡、ホワイトは「白井」から、シャークはどこからでも攻撃出来るサメの特性を意識している。
逃げ・差し・捲り、どこからでも攻める事が出来る白井選手にぴったりだな!
同期には平田忠則選手、香川素子選手、重成一人選手がいる。
ボートレーサー(競艇選手)になったきっかけ
小学校の頃から父親にボートレース場(競艇場)に連れて行ってもらっていて、その頃からボートトレーサー(競艇選手)になろうと志すようになったようだ。
高校卒業後、本栖研修所を受験したが1度目は学科、2度目は減量による血圧、3・4度目は身長オーバーで不合格。
2年の浪人期間を経て、5度目にして合格を勝ち取った。
その2年間は新聞配達などのアルバイトをしながら、専門学校に通っていたみたいだな。
師弟愛

師匠は、あの「艇界のプリンス」今村豊元選手。
白井選手が高校3年生の時、今村豊元選手の自宅を訪ね、その時に「本栖研修所を卒業したら僕のところにおいで」という言葉をもらったそう。
実際、その後養成所を卒業し、今村豊元選手に弟子入りをした。
2020年10月8日、今村豊元選手が引退した際には、「師匠愛しています」と語っている。
その際、今村豊元選手が取れなかった賞金王も取るとも言っている。
後述するが、長いことSG制覇が出来なかった白井選手が「2014年SG第60回ボートレースメモリアル」で優勝した時は、今村豊元選手と抱き合っていて感動した。
今村豊元選手が会見で記者に「お父さん」と呼ばれているのには、笑ってしまった。 凄い師弟愛だ!
白井選手の歩んだ苦難の道
1977年5月22日、ボートレース下関(下関競艇場)で開催された一般戦でデビュー。
初優勝は、1999年ボートレース蒲郡(蒲郡競艇場)の一般戦だ。
2001年には、ボートレース常滑(常滑競艇場)で開催されたSG「第48回全日本選手権」でSG初優出。
その後、順調に一般戦・G3優勝をし、2003年にはボートレース平和島(平和島競艇場)で開催された「G1トーキョー・ベイ・カップ開設49周年競走」でG1初優勝を飾る。
それ以降、幾度もSG出場・優出を果たすが一度も優勝が出来ず、「無冠の帝王」という呼ばれるようになる。
2013年までにSG優出回数13回、G1優勝回数7回、毎年良い成績を残しているが、それでもSG優勝には届かなかった。
悲願のSG初優勝
2014年8月31日、ボートレース若松(若松競艇場)で開催された「SG第60回ボートレースメモリアル」で初のSG制覇を成し遂げる。
前述した、記者会見の動画があるので是非見てほしい。
予選で落水するなどのアクシデントもあったが、優出。
優勝戦で2コースからコンマ00のタッチスタートを決め、1コースの谷村一哉選手をまくり、悲願のSG初優勝!
SG出場回数68回、優出回数14回、この優勝で「無冠の帝王」というニックネームを返上した。
白井選手の優勝歴
- 【SG】
- 2014年:第60回モーターボート記念(若松)2コース:まくり
- 2018年:第28回グランドチャンピオン決定戦(徳山)1コース:逃げ
- 【G1】
- 2003年:第49回トーキョー・ベイ・カップ(平和島)逃げ
- 2006年:モーターボート大賞(宮島)3コース:まくり差し
- 2007年:第52回オールジャパン竹島特別(蒲郡)4コース:まくり
- 2008年:第51回中国地区選手権(宮島)逃げ
- 2008年:第55回徳山クラウン争奪戦(徳山)逃げ
- 2011年:第58回浜名湖賞(浜名湖)4コース:まくり
- 2012年:第60回海の王者決定戦(大村)逃げ
- 2014年:第57回中国地区選手権(下関)逃げ
- 2015年:第58回中国地区選手権(児島)逃げ
- 2017年:第63回競帝王決定戦(下関)逃げ
- 2019年:開設66周年記念 海の王者決定戦(大村)逃げ
- 2020年:開設65周年記念G1競帝王決定戦(下関)逃げ
2012年には勝率8.32をマークし、年間最高勝率を獲得した。
2020年には「ゴールデンレーサー賞」を受賞、第1号だ。
2021年には、史上18人目となる通算100V。
この2021年、SG優出5回、G1優出3回、優勝はG3が1回、一般戦が3回という成績で賞金ランキング3位まで昇り詰めている。
2001年からずっと勝率7.00以上をマークし、この5年は8.00以上をマーク、白井選手がどれだけ勝っている選手なのかがよくわかる。
SG優勝は2回だけとなるが、毎年賞金ランキングも上位に食い込んでおり、名実共にボートレーサー界トップの一角と言える選手だろう。
白井選手の特徴
白井選手の特徴は、ハンドル捌きの技術が高く、それによる鋭角なターンだ。
また、2021年の平均STは0.13で比較的早めのスタートタイミング。
インコースが得意で勝率が高く、1号艇の3連対率は98.5%と脅威の数字。
また、5・6コースの場合は平均STが著しく低くなるため、展開予想が必須だが、アウトコースも他のトップクラスの選手と比較しても高く、どのコースからでも1着を狙える選手だ。
ただ、SGなどのトップレーサーと競い合うグレードだと勝ちきれない事が多い。
とはいえ、着順に絡む事は間違いないため、注目してレースを見よう。
ボートレーサーとしての姿勢
ボートレース(競艇)は体重が軽いほど有利な競技。
そのため、過度な減量を避けるために男子は51kg、女子は47kgという体重制限が設けられている。
白井選手の身長は173cmで適正体重は66kg、15kgの減量に挑む計算となる。
「最低体重に近づける事は、真摯にレースに向き合うための最低限の準備」と話す白井選手は、食事は1日1食、レース当日は最低限の栄養補給のみにしているそう。
40歳の頃から体重は意識していて、51kgまで落とすようにし、1日の1回の食事も奥さんが作るタンパク質多めの特別メニューにしているようだ。
このストイックな姿勢が結果につながっているのだろう。
まとめ:師匠との約束!賞金王へ!
今回は、白井英治選手を紹介していった。
師弟愛、選手としての歴史、レースに向き合う姿、本当に努力の人で魅力溢れるボートレーサー(競艇選手)だ。
近年は勝率8.00代をキープし、2021年の賞金ランキングは3位。
今村豊元選手が引退する際、白井選手は「今村さんが唯一成しえなかった賞金王になる事を最高の恩返しと思って日々精進していきたいと思います」と話していた。
白井選手なら、必ず成し遂げてくれるだろう!

- 源田
- ボートレース始めたばかりの初心者。 スポーツをやるのは苦手だが、スポーツ観戦が好きで今はesports、サッカー、野球にハマっている。 ボートレースにハマった結果、最近は海外のスポーツのギャンブルにも興味を持っている。
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