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トップボートレーサー「松本勝也」選手がレース中の事故で死亡

松本勝也選手の事故死

2020年2月9日、尼崎ボートレース場で悲しい事件が起こりました。レース中の事故により、一人の競艇選手が亡くなったのです。

亡くなったのはG1の松本勝也選手選手(48)。第9レース中に他のボートと衝突、後続ボートが松本選手のボートに乗り上げました。

すぐに病院へ運ばれましたが死亡が確認。死因は溺死でした。

この記事では松本選手のお人柄、事故の原因、そして「競艇は危険なスポーツなのか」。といった内容にまで踏み込みます。

松本勝也選手のプロフィールを紹介

松本勝也(まつもとかつや)選手は1971年(昭46)9月1日生まれ、兵庫県出身の48歳。91年5月に兵庫支部の68期生として尼崎でデビューしました。

93年11月丸亀で初優勝。その後、1996年から約24年間ボートレーサーとして最上位クラスのA1級で活躍を続けてきました。

2000年にはボートレース界最高峰の「SGレース・グランドチャンピオン」で優勝戦に進出するなど、兵庫を代表するボートレーサーです。

 

事故の詳細を確認

松本選手は2020年2月9日尼崎ボートレース場で行われていた、「G1レースの近畿地区選手権第9R」に6号艇で出場。

事件は1周目の2マーク(第2コーナー)で発生しました。松本選手は2マークのターンを曲がる際、バランスを崩し大きく失速します。そして、後続を走る5号艇と接触し転覆しました。

競艇はターンで他の選手を抜くために、ギリギリのせめぎ合いが行われます。松本選手がなぜバランスを崩して失速したのかは定かではありませんが、競艇では「コーナーで攻めすぎてバランスを崩す」といったケースはよくあることです。

また、競艇の最高時速は80キロ前後。ボートの重量は75kgです。他のボートとの接触は想像を超えた衝撃力とみて間違いないでしょう。

事故後、松本選手はただちに兵庫県西宮市の兵庫医大病院に救急搬送されましたが、午後4時12分に死亡が確認されました。

死因は翌10日、溺死と発表。大きな外傷はなく、肺に水が溜まっていたそうです。

事故後の様子

事故があった日、開催中の尼崎ボートではレース前に全選手が集合して黙とうが行われました。

その後、粛々とした中でも普段通りにレースが進められました。

事故現場である2マーク付近には献花台が設置され、ファンや関係者は亡くなった松本選手を悼みました。

また、11日に予定されていた優勝戦出場選手インタビューと優勝選手表彰式は中止となりました。

 

事故の翌日:2月10日近畿地区選手権競走・準優勝戦の一幕

準優勝戦で勝利をおさめた白石健選手は、同門(沼田嘉弘元選手を師匠に持つ)の松本勝也選手を思ってか、優勝戦出場決定のインタビューで涙をこらえながら受け答えをするシーンが印象的でした。

松本選手の人柄について

松本勝也選手は物腰の柔らかい人柄で、ファンの間では「勝っちゃん」の愛称で親しまれていました。人望も厚く、ファンはもちろん選手にも愛されるベテラン選手でした。

趣味は釣り。レースが休みの時は釣りへ出かけていたようです。フェイスブックでは釣り上げた魚と共に笑顔で写っている写真を見ることができます。

ファンの声

松本選手のことはレース画面やサイトでしか見たことはありませんが、それでもいつも見ている選手がなくなり友人や知人がなくなったような悲しみ・喪失感でいっぱいです。 松本勝也選手の突然の訃報に驚いています。

兵庫支部を盛り上げ引っ張って下さり、ありがとうございます。ボートレースを初めて見に行った時、目の前を疾走していったのが松本選手でした。あまりに突然の出来事で動揺しています。

心よりお悔やみ申し上げます。松本勝也の人柄は素晴らしいです。勝っちゃんゆっくり休んで下さいね。今まで舟券貢献ありがとう。 ファンからのコメントが公式サイトや松本選手フェイスブックに多く寄せられています。

競艇は危険なのか

ボートレースは「水上の格闘技」と呼ばれています。6艇6選手が1周600メートルの水面を3周(1800m)し、順位を争うモータースポーツです。

水上の格闘技と呼ばれる理由を見てみましょう。

水面を走るボートの最高時速は80km!水面ギリギリを走ってるため、競艇選手の体感速度は120kmと言われています。

そして最大の見せ場はターンマークでの攻防戦です。他の選手を抜くために様々な技を駆使します。

また、ボートにカーブを曲がるブレーキはありません。バランスとハンドリングのみで舟を操り、高速でカーブを疾走していきます。

加えて安全装置もなく、一つバランスを崩せば「転覆」や「事故」を起こしてしまう可能性があります。

365日毎日行われているボートレースですが、常に危険と隣り合わせであることは確かです。

A1選手のように優れたテクニックや感覚を持ってしても、今回のような不幸な事故が起きてしまっています。

これまでに起こった競艇選手の事故死をお伝えします。

松本選手の事故死はボートレースが開催した1953年以降、約70年間で31人目です。なんと2年に1人ので割合で競艇選手が亡くなっているのです。

また、今回の事故が起こった「ボートレース尼崎」では、2004年の中島康孝選手以降2度目の死亡事故となります。

どんな事故が多いのか

競艇で多い事故は「転覆」と「衝突」です。

最高時速でターンマークへと進み、ギリギリのタイミングで減速して最小限の旋回でコーナーを曲がります。

それほどシビアな駆け引きの中、ターンのスピードと角度が合わなかった場合、ボートの転覆が起こります。

転覆が起きた際、競艇選手は水面に叩きつけられてしまいます。実は高速で水面に衝突した場合、水面はコンクリートの硬さに変化します。

「水切り」の例がわかりやすいですね。水のように形がない物質は、高速でぶつかったモノに対して跳ね返してしまう性質があるのです。

80kmもの速度がでるボートレースです。このスピードで水面に叩きつけられたら怪我どころでは済まないですね。

また、転覆した後も要注意です。後続艇に轢かれてしまう危険性が十分にあります。

さらに怖いことに、モーターに取り付けられているプロペラに切られる可能性もあります。

競艇が危険と隣り合わせのスポーツと言われる理由は以上です。

まとめ

磨き抜かれたテクニックで私達を楽しませ、興奮させてくれるボートレース。

競艇に事故はつきものかもしれません。動力源を使っているスポーツなので尚更です。

今回起きてしまった不幸な事故によって、多くの競艇ファンが涙を流したと思います。

これからは、もっと選手の安全に配慮した工夫が必要になるでしょう。ボートレースが選手にとって、より安全で素晴らしいものになることを願っています。

松本 勝也選手のご冥福をお祈りいたします。

◆松本 勝也(まつもと・かつや)1971年(昭46)9月1日生まれ、兵庫県出身の48歳。91年5月に兵庫支部の68期生として尼崎でデビュー。93年11月丸亀で初優勝。通算1798勝、優勝42回。生涯獲得賞金は約9億7500万円。主な同期は野沢大二、高橋勲、山一鉄也。162㎝・50.5㎏。血液型O。

けみかる@遅刻魔
本業は結婚式場、スタッフ。スロット4号機時代に万枚を出しギャンブルにはまる。5号機からは稼げなくなり、競艇へ鞍替え。 データを集めて勝ちにこだわるギャンブラー。バツイチ36歳。趣味は、写真と自転車。出身は尼崎競艇場のすぐ近く。

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